2014年06月07日

≪ 太っ腹の人間的魅力 ≫


善馬を食いて酒を飲まずんば人を傷(やぶ)る。

始皇帝の先祖である秦の繆公(ぼくこう)は、なかなか太っ腹な人物だったという。あるとき、岐山(陝西省西部)の王室牧場から数頭の良馬が逃げ出した。山麓の農民たちが、それを捕まえて食ってしまった。

これを知った役人が調べたところ、関係者は三百人にも上った。役人は全員を逮捕し処刑しようとしたが、報告を受けた繆公がとめた。

〈良馬を食ったなら、酒を飲まないと体に悪いぞ〉繆公は、かれらに酒をふるまい、許してやった。

これには後日談がある。繆公が晋の恵公と戦って包囲され、あわやというときに三百人あまりがかけつけて救ってくれたが、それはかって馬を食った連中であったという。

こういった太っ腹な言動は、作為からだと嫌味になるが、巧まずして人がらから滲み出ている場合は相手をひきつける魅力となる。

後代になるが、秦滅亡のあとをうけて漢を創建した高祖劉邦(りゅうほう)にもこういうところがあったそうだ。かれが郷里の村長だったときのこと。皇帝陵の工事人夫として徴用された村人を、驪山(りざん)(西安市の東)に護送していく途中、つぎつぎと逃亡者が出て、計算からすると到着したころはいなくなってしまう。

劉邦は酒盛りをして「みな逃げるがいい。わしも逃げる」と言って解散してしまった。なかの十数人が後に歴戦の部下となったとある。





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2014年06月04日

≪ 能ある鷹は ・・・≫


鷹の立つは睡るがごとく、虎の行くは病むに似たり、まさにこれ他の人を攫み人を噬(かむ)む手段のところ。ゆえに君子は聡明露(あら)われず、才華逞しからざるを要す。 「菜根譚」

鷹がたたずんでいる姿は眠っているようであるし、虎の歩くさまは病気のように見える。だが、それこそ彼らが、人をとらえ、噛み伏せるための手口なのだ。

賢明さを表わさず、才能を振り回さないのが君子のあり方。それでこそ天下の大事業を果たすことができる。

日本のことわざにも「能ある鷹は爪を隠す」とあるが、軽々しく自分の力量をひけらかすようでは大きな仕事はできない。

何ごともないときは毒にも薬にもならぬ凡庸ぶりで「昼あんどん」と呼ばれていた大石内蔵助が、いざお家の一大事となると抜群の政治力、組織力を発揮して、みごと本懐を遂げた。

強いて無能をよそおわぬまでも、いざ出番というときまでは力を養いつつ控えめな態度に終始していたほうが、演出効果からいっても有利ではないだろうか。
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2014年06月01日

≪ 人を動かす二つのカギ − 心と物 ≫


敵を殺すものは怒なり。敵の利をとるものは貨なり。 「孫子」

〈兵士が敵を殺せるのは怒りの感情があるからであり、戦利品を奪うのは物に対する欲望があるからだ。〉

人を行動にかりたてる「心」の作用は大きい。

人を動かす場合、人に働きかける場合、何よりも相手の心の状態を考えてみよう。

唐の張蘊古(ちょううんこ)は、「人を使うに心をもってせよ」といっている。これは帝王学のABCだ。

もちろん、すべての人が、すべての場合、心だけで動くとはかぎらない。人間はそれほど甘くない。人の行動にかりたてる「物」の作用も無視できない。

心と物。それは車の前輪と後輪である。どちらが欠けても、車はスムーズに動かない。前輪駆動車をえらぶか後輪駆動車にするか、理想的なのは四輪駆動車ではなかろうか。

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2014年05月29日

≪ 人はほめて育てよ ≫


まさに風俗を興し、道業を長ぜんと欲すれば、その譚を美にせざれば、すなわち声名、慕企するに足らず。慕企するに足らざれば、善をなす者少なし。 「三国志」

”鳳雛(ほうすう)“こと龐統(ほうとう)の人物批評は独特で、とかくほめすぎの傾向があったという。ある人がそのわけを聞くと、龐統はこう答えた。

「天下大乱のときを迎えて、秩序が乱れ、善人が少なく、悪人がはびこっている。風俗を正し、まっとうな世の中を実現しようとするからには、かれらに多少誇張した評判をあたえてやらねば、張り合いがなかろう。張り合いがなければ、善行をやる人間はますます少なくなる。かりに十人を推挙して五人がだめだとしても、まだ五人残る。こうして教化をひろめ、志ある者を励ますのも、一法というものではないか」

龐統は、後進の育成に熱心だったといわれるが、彼はほめて育てるタイプであろう。我が日本社会では、叱って育てるのが当然とどの分野でも思われていた時代があった。

だが近頃では、きびしく叱ると大の男が泣き出すという信じがたい話を聞いたことがある。ほめるにせよ叱るにせよ、人を育てる仕事はむずかしい。

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2014年05月27日

≪ 急いてはことを仕損じる ≫


これは大事なり、倉卒にすべからず。 「三国志」

劉備がはじめて 蜀に入ったのは211年のこと。彼を招いた蜀の主劉璋は、大宴会を開いて歓迎した。その劉璋を、この宴会の席で暗殺してしまうよう劉備にすすめたものがいる。

「会見の場で劉璋を暗殺してしまえば、一兵も動かすことなく、いながらにして一州を手に入れられる」というのである。だが、劉備はこういって応じなかった。

〈ことは重大だ。急いては仕損ずるだけだ〉蜀の地を奪いとることは、劉備にとっては既定の方針であり、それでなければ天下三分の計は完成を見ない。だが、劉備は他国に入ったばかりで、まだ人心をえるにはいたっていない。ここで性急な行動に出るのは得策ではない、というのがかれの判断だった。

惰弱な劉璋にあき足りない思いを抱いていた蜀の人は多かったが、他国からきた劉備が、強引な手段でとってかわったとしたら、相当の反発をまねくことは、まちがいない。

劉備は、蜀の地を完全におのれのものにするために、それから二年あまりの時間をかけることになる。結果はそのほうが正解だったようである。
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2014年05月25日

≪ 人をあてにしない、人のせいにしない ≫


その来らざるを恃むことなく、われのもって待つあるを恃むなり。その攻めざるを恃むことなく、われの攻むべからざるところあるを恃むなり。 孫子

〈敵のやってこないことをあてにするのではなく、自分に備えがあることをあてにしなければならぬ。。敵の攻めてこないことを頼りとするよりも、敵に攻める隙を与えない我が守りを頼りとすべきである〉

「備えあれば患いなし」である。人をあてにしたり、人のせいにしたりするのは、いずれも甘えである。

他人の善意に期待をかけすぎたために、あとで裏切られたと嘆くのも、他人の悪意を警戒しすぎて、人間不信におちいるのも、その根は一つ ―― 「われのもって待つあるを恃む」に欠けているからだ。

「君子は何ごとも自分自身の問題としてとらえようとし、小人は何ごとも他人のせいにしようとする」(論語)


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2014年05月22日

≪ ゆとりを持って戦うこと ≫


用兵の法は、十なればこれを囲み、五なればこれを攻め、倍なればこれを分かつ。  孫子

「彼を知り己を知れば、百戦殆うからず」は孫子の兵法の根幹だが、己 ―― 自己の兵力を知ったうえで、これをどう使うかというのが、この項の主眼である。

兵力は、多寡に応じてそれなりの使い方をしなければ生きてこない。

〈兵力に応じた戦いの原則はこうである。すなわち、わが軍の兵力が敵の十倍もあるときは包囲して完全に料理する。五倍であれば正面攻撃する。二倍であればこれを二分して敵を挟撃するが良い。〉

ここでは、理想的なすがたとして、ゆとりを持って戦うべきことが強調されている。無理のない万全な成功をおさめるには、十分にゆとりのある力を備えていなければならない。

問題は、その”ゆとり”の使い方である。どんなにゆとりがあろうとも、漫然と浪費してしまっては、何の役にもたたない。

孫子は十倍、五倍、二倍と、優勢な兵力量に応じた戦い方を示した。これは比喩としても成り立つ。資金量に応じた事業計画やマネーゲーム、あるいは時間の余裕に応じた仕事の進め方。

あなたなら、これをいかに用いますか?


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2014年05月17日

≪ 守りと攻めの原則 ≫


勝つべからざるは守るなり。勝つべきは攻むるなり。

〈勝てるだけの条件がなければ守りを固めるがよい。そして、勝てる条件ががあれば攻撃することである〉

もちろん、勝てるだけの条件が完全にそろっていなくても、奇襲によって勝つことはある。また、追いつめられたとき、「座して死すよりは」というので、死中に活を求めてこちらから攻め、運よく勝つこともある。

織田信長が強敵今川義元を討ち取った桶狭間の戦いなどは、その好例である。

倒産に直面した企業が、思いきって一発勝負に出て、運よく持ち直すこともあるだろう。

だが、これらはあくまで運よく″ということであり、”一か八かであって、必然的な勝利ではなく、緒戦の勝利を永続きさせる保証はない。

それは太平洋戦争における奇襲攻撃のあとを振り返ってみればよくわかることだ。完全かつ安全な勝利は、やはり、十分な力があってこそ攻めて出るべきであり、力不足のときは守りを固めて力をたくわえ、状況の変化を待つべきであろう。

孫子は「守は足らず、攻めるは余りあればなり」ともいっている。



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2014年05月14日

≪ まず隗より始めよ ≫


今王誠に士を致さんと欲せば、先ず隗より始めよ。

隗すら且つ事え見る、況(いわん)や隗より賢れる者を乎。あに千里を遠しとせん哉。

《「いま王が本当にすぐれた人物を求めておられるのでしたら、まず、私、隗からお始め下さい。隗でさえも仕えさせていただくとすれば、まして隗よりすぐれた者ならば十分に尊重されるであろうと、千里の道をも遠しとせずやって来ることでありましょう」》

有名な「隗より始めよ」のもととなった逸話である。このすぐ前に死馬のたとえが出ているから、郭隗は自分を死馬にたとえて、「自分のようなものでも大事にしてくださるならば」と謙遜しながら言ったのである。

昭王は隗のために宮殿を築いて師としてつかえた。やがて、魏からは楽毅(がくき)斉からは鄒衍(すうえん)が趙からは劇辛(げきしん)がというように、諸国から人材が燕に集まり28年間に及ぶ平和と繁栄がもたらされた。




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2014年05月11日

≪ 貧富は自分がつくるもの ≫


貧富の道、これを奪予するなくして、巧者は余りあり、拙者は足らず。

貧富の差はどうして生まれるのか。

金持ちになるのは、人から金が与えられるからである。貧乏になるのは、持っている金を人に奪われるからである。これも一つの解釈である。

あくまでも、自分しだいだ、というのがこの考え方、たしかに、金持ちになるのは、他人から自分に金が渡ってくるということ。貧乏になるのは、その逆。
 
ではどう考えるか。自分のやり方の上手、下手と考えるべきだ、という。経済的運用のしかたが上手であれば儲かるし、下手であれば損をする。

人に頼ったり、人を恨んだりする傾向が自分に残る限り、反省する必要があるとしている。


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2014年05月09日

≪ 心をしっかりと確立する ≫


心ここに在らざれば、視せども見えず、聴けども聞こえず、食えどもその味をを知らず。

体の働きをつかさどっているのは、心である。

心がしっかりと確立されていなかったら、体の働きも正常に機能しない。

その結果、「視れども見えず、聴けども聞こえず、食えどもその味を知らず」では、なぜ「心ここに在らず」という状態になるのであろうか。

「大学」によれば、こうである。「心に忿憄(ふんち)する所あれば規ちその正を得ず。恐懼(きょうく)する所あれば、則ちその正を得ず。好楽(こうごう)する所あれば、則ちその正を得ず。憂患する所あれば、則ちその正を得ず」

「忿懥」とは怒り、「恐懼」とは恐れ、「幸楽」とは好み、「憂患」とは憂い、である。

これらのものによって心がかき乱され、正しいバランスが失われるからだという。だから、常に心の正常な働きを保つためには、それらのものに邪魔されないよう、しっかりと心を確立しておく必要がある。

それが「大学」にいう「正心」、心を正す修養にほかならない。心のバランスを欠いたのでは、的確な判断もできなくなるし、情勢の変化にうまく対応していくこともできなくなる。

一人前の社会人となるためにも、この「正心」の修養が望まれる。



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2014年05月05日

≪ 水のあり方にに学べ ≫


上善は水の如し。水は善く万物利して争わず、衆人の悪(にく)む所に居る。

「上善」とは、理想的な生き方。そういう生き方をしようと思うなら、水のあり方に学べという。

なぜなら、水は万物に恩恵を与えながら、自分はというと、相手に逆らわないで、人の嫌がる低いところに流れていくからだという。

思うに、水には三つの特徴がある。

第一は、丸い器に入れると、丸い形になる。四角な器に入れると四角な形になる。相手に逆らわないで、いかようにもこちらの形を変えていく柔軟性をもっている。
 
第二に、地球上の生物に大きな恩恵を与えておきながら、自分はというと、低い所、低い所へと流れていく。その在り方は、きわめて謙虚である。

第三に、それでいて急流ともなれば、固い岩石のようなものまで打ち砕いてしまう力を秘めている。

こういう三つの特徴をふまえて、水のあり方に学べというのが、「上善如水」にほかならない。

むろん、「柔軟であれ、謙虚であれ」といっても、自分の主体性はきちんと堅持している。それがなかったら、ただの軟体動物になってしまうかもしれない。








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2014年05月04日

≪ 結婚40周年 ≫


5月3日、結婚40周年を迎え。

孫たちが、お祝いをしてくれました。

過ぎてしまえばあっというまだったように思います。かみさんはどう思っているのかわかりませんが

これからもお互いに健康で一日一日を大切に過ごしていきたいと思っています。

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2014年05月02日

≪ いかに有能でも人の助けが必要な場合が ≫


天下に信数三あり。

一に曰く、智も立つるあたわざる所あり。

二に曰く、力も挙ぐるあたわざる所あり。

三に曰く、彊も勝つあたわざる所あり。

この世で言える確かなことが三つある、という。どんな三つか。

1、智者だから功績をあげられるとはかぎらないこと。

2、いかに力があっても、持ち上げられないものもあるということ。

3、強い者が勝つとはかぎらないこと。




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2014年04月30日

≪ 上司とつきあうコツ ≫


密を窺(うたが)わず、旁(みだ)りに狎(な)れず、旧故を道(い)わず、戯色(ぎしょく)せず。


これは、上司に仕えるときの心構えだという。訳してみると、次のようになる。

1、なにか相手の秘密でも探り出そうとするかのような言動はしない。

1、みだりに心安く、なれなれしい態度で接しない。

1、軽率に相手の古傷にさわるような話題をとりあげない。

1、ことさらに相手を軽蔑するような顔つきはしない。

4ヵ条はすべて、部下としてやってはならないことである。これは現代でもまったく同じであろう。

思うに、部下として上司から安心して仕事をまかせてもらえるようなあり方が理想である。

そのためには、何をおいても上司の信頼をかちえなければならない。

いやな相手でも上司は上司である。一定のケジメをつけて接したい。そういうケジメをつけるうえで、この4ヶ条は大いに参考になるであろう。
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