2014年07月16日

≪ 人を見る眼に誤りはないか ≫


いわゆる忠なる者は不忠にして、いわゆる賢なる者は不賢なり。  [史記]

だれでも人の上にたてば、配下の者を自分に忠実で優秀な人材でかためようとする。

しかし、自分に忠実で優秀な人材でかためたつもりが、実際はそうでないことがある。会社、とりわけ銀行などの重要なポストにある者がしばしば新聞紙上を賑わす事件を起こすのは、それなりに上司の信頼を集めていたケースである。また、そうでなければ重要なポストにつくことはない。

これはきのうきょうのことではない。二千年以上も前の楚の国の話である。屈原(くつげん)は政治家にして詩人、しだいに朝廷で重きをなしていった。朝廷で重きをなすにつれ、これを妬む者が現れてきた。そして楚王に讒言(ざんげん)した。

「王は法令の草案をいつも屈原にさせていますが、そのため彼は、王のいないところでそれを誇り、草案はみんなおれが作っている、おれがいなければ王はなにもできない、と言いふらしています」これ以来、王は屈原を疎(うと)んじるようになった。

そのあげく、屈原の諫言(かんげん)を無視して身の破滅を招く結果となった。それというのも、讒言があったとき、どちらが本当に忠実で優秀な人材かを見わける眼がなかったからである。






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2014年07月15日

≪ 明鏡止水 ≫


鏡 明らかなれば塵垢(じんこう)止(とど)まらず、止まれば明らかならざるなり。  [老子・荘子] 

「きらきら光っている鏡は、ほこりを寄せつけない。ほこりがつけば光が失われる」

『荘子』にはさらに、「人は流水に鑑みるなくして、止水に鑑みる」という言葉がある。流水は人の姿を映し出さない。映し出してくれるのは「止水」、静止している水である。だから、自分の姿を見ようとするときは、流水ではなく止水を利用する、という。

この二つの言葉から、有名な「明鏡止水」という四字句が生まれた。辞典で「明鏡止水」を引いてみると、「(くもりのない鏡とすんだ水の意)心にわだかまりやくもりがないこと」と出ている。要するに、虚心とか無心の境地といった意味である。

人生には、なんどか重要な決断を下さないといけない場合がある。そんな時、徹底的に事情を調査することは勿論であるが、最後の段階では「明鏡止水」の心境になることが望まれる。

なんとしても成功させたいとか成功させたらどうなるか、そんな雑念が湧いてくると、成功しそうなものまで成功しなくなる。あくまでも、「明鏡止水」で対処したい。



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2014年07月13日

≪ 上役は偉そうにするな ≫


聖人の道は、智と巧とを去る。智巧去らざれば以て常と為しがたし。民人これを用うれば、その身殃(わざわい)多く、主上これを用うれば、その国危亡(きぼう)す。  [韓非子]

上の者が、自分を飾るようなことをせず、じっと構えていれば、下の者はありのままの姿を見せるようになる。というのは、上の者の好みや望みがわからず、調子よく合わせようがないからだ。

となると、下の者にとって頼りになるのは、法にもとづく信賞必罰しかない。法にもとづいて、賞と罰がきちんと行われ、上下関係が深い信頼関係によって結ばれているならば、下の者は実情を隠さなくなる。

だから、聖人の道というのは、下手な技巧を弄(ろう)したりはしない。技巧を弄しているうちは、それを常道とすることはできない。下手な技巧というものは、一般の人間が使えば自分自身にわざわいをまねくし、君主が使えば国を滅亡の危機に陥れる。

韓非の根本は法と術。法は公明正大であるほど効果があり、術のほうは秘密であればあるほど威力を発揮する。ここでいう「智と巧」は、韓非の術には含まれない。

自分を偉く見せようとする技巧を言っている。
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2014年07月11日

≪ 絵ときの館 ≫


比婆郡口和町大月正専寺境内にやわらぎ法宝物館 絵ときの館がある。総代会で見学に行った。

絵解きは、江戸時代に入って文字を知らぬ庶民に仏教を伝える布教の手段として、絵図をつくり、説教を交えての、立体的で躍動的な布教のあり方をいいます。

この「絵解きの館」は、浄土教の曼荼羅を中心にして、絵図を展示している。

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2014年07月07日

≪ おか半で食事 ≫


こころ見学の帰り近くのおか半で会食をした。サービス付き高齢者住宅の印象・感想等話し合い和気あいあいの中で食事を美味しくいただき解散した。

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2014年07月05日

≪ サービス付高齢者住宅見学 ≫


先日 本年4月に完成したサービス付き高齢者向け住宅こころの家矢野西へ見学に行ってきた。

住み慣れた地域で、安心して暮らせるように、介護スタッフが24時間365日見守る提携医療健康増進楽しく暮らすがテーマです。

「サービス付き高齢者向け住宅」とは、高齢者単身・夫婦世帯が安心して居住できる賃貸し等の住まいです。高齢者にふさわしいハード(バリアフリー構造・一定の面積、設備)安心できる見守りサービス、ケアの専門家による(安否確認サービス・生活相談サービス)

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お問い合わせ・見学会へのご参加は 090−5691−1312





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2014年07月03日

≪ 礼儀の基本は三つ ≫


およそ人の人たる所以は礼儀なり。礼儀の始めは、容体を正し、顔色をととのえ、辞令を順にするに在り。  [大学・中庸](礼記・冠義)

社会人として世の中に立っていくためには、礼儀の基本ぐらいは、しっかりと身につけておく必要がある。

では、礼儀の基本とはどういうことなのか。「礼記」は次の三つあげる。

1、容体を正す―― 姿勢や態度、歩き方をきちんとすることだ。歪んだ姿勢やだらしない歩き方をしていたのでは、体にもよくないし、まわりに与える印象もよろしくない。また、姿勢や歩き方をきちんとすることによって、内面のあり方を正すというメリットもある。できれば、「姿勢はまっすぐに、歩き方は軽やかに」を心がけたい。

1、顔色を斉える―― へんな顔つきをしないということ。笑うにしても歯をむき出しにした笑い方は避けた方がいいし、悲しむにしてもとり乱すような悲しみ方はしないということ。

1、辞令を順にする―― 言葉づかいに気をつける。挨拶のしかたも知らないし、人にものを頼むさいに頼み方も知らないというのでは、社会人として失格だと言わざるをえない。


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2014年07月01日

≪ 本物の人格者 ≫


婁公(ろうこう)は成徳なり。われ容(い)るるところとなること久し。  [十八史略]

人に何かしてやると、そのことを相手に知らせてやりたいのが普通である。黙っているのはむずかしい。とくに昨今のように、「ギブアンドテーク」の世の中では、相手に知られなければ意味がないということになる。

ところが、唐の則天武后(そくてんぶこう)は残虐な女性として悪評が高いが、一面では、よく人材を登用してその能力を発揮させた。そこで彼女の時代には名臣が輩出しており、皮肉なことに彼女の晩年、クーデターをおこして暴政に終止符をうったのは、その名臣のひとりであった。

それはさておき、狄仁傑(てきじんけつ)という剛直な宰相がいた。かれは、温厚で知られる婁師徳(ろうしとく)とそりがあわず、ことごとに婁師徳を非難した。ところがあるとき、則天武后が狄仁傑にいった。

「私が、そなたを重く用いているのは、婁師徳の推薦があったからなのですよ」狄仁傑は御前を退出してから、思わず感嘆の声をもらしていった。

「婁師徳の人格は本物だ。知らぬまに、ずっとかれの懐に包まれていたとは」人のためになることをするときは、「してやる」という考えを捨て、反対給付も期待せず、自分の喜びか物好きのつもりでやったほうがいい。それならお返しがなくても腹を立てずにすむ。




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2014年06月28日

≪ 不作法を怒る前に ≫


敬せられざるに至れるは、これわが徳修まらざるなり  「史記」

相手から敬意を持たれない、つまりあまく見られるのは、自分のほうに敬意を持たれるだけのものがないからだ、という意味。

これが形だけとなると、「わが不徳のいたすところ」という今日の政治家などの使い方となる。

ひとかどの遊侠の徒として知られる郭解(かくかい)が、ある日、外出した。かれと見ると人々は道をゆずるのが常だったが、その時は、一人の男が不作法に足を投げ出したまま郭解を見ていた。郭解は手下に命じてかれの名を聞いてこさせた。

郭解に世話になっている者がこれを見て、郭解が腹を立てていると思い、かわって自分がその男を殺そうとした。すると郭解がとめた。

「いや、あまく見られるのは、こちらがまだまだだからだ」(敬せられざる…)そればかりか、村役場に足をはこんで、頼み込んだ。

「私に大事なことを教えてくれた人だ。ひとつ兵役の義務を免除してやってもらえないか」

まもなく若者がみな兵役にかり出されるのに、その男のところには召集令状が来ない。男は不審に思って役場で尋ねると、いきさつがわかった。

男は郭解を訪れ、その前にひざまずき、肌脱ぎして平謝りにあやまった。


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2014年06月26日

≪ 野菜づくりに挑戦 ≫


庭に菜園をつくり、トマト、きゅうり、ピーマン、なすび の栽培に挑戦した。

ピーマンは枯れてしまったが なんと きゅうり、なすび、トマトは順調に育ち、初取りした。水やり 肥料やり等いろいろと手間暇がかかったが、成長していくのを毎日見ると最高の気分になる。

ましてや、きゅうり、なすび、を初取りしたときは感動した。

野菜を育てるのも、人間を育てるのも一緒、これからも、少しづつ、種類を広げようと思う。

「きゅうりとなすび、トマト」

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2014年06月23日

≪ 人間には八つの欠点がある ≫


人に八疵(はっし)あり   [ 老子・荘子 ]

人間には、次の八つの欠点があるのだという。

1、揔(そう)。自分がやるべき仕事でもないのに、余計な手出しをする。つまりは出しゃばりである。

2、佞(ねい)。聞かれもしないのに、こちらからしゃしゃり出て意見を述べる。つまりはおべんちゃらである。

3、諂(てん)。相手の意を迎えて調子を合わせる。つまりはおべっかである。

4、諛(ゆ)。是非のけじめなどおかまいなしにしゃべりまくる。つまりはへつらいである。

5、讒(ざん)。なにかといえば他人の悪口を言いたがる。つまりはねたみである。

6、賊(ぞく)。他人を仲たがいさせ、親しい者同士をを離間させる。

7、慝(とく)。悪をほめ善をけなして相手をダメにする。

8、険(けん)。善悪におかまいなしに愛想をふりまいてあいてにおもねる。

全部とは言わないまでも、この中の一つや二つは、誰にでも覚えがあるかもしれない。「荘子」はこの八項目をあげたあとで、「この八疵は、外は以って人を乱し、内は以って身を傷(やぶ)る」と語っている。
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2014年06月21日

≪ 人間鑑別法 ≫


人の心は山川よりも険しく、天を知るよりも難し 「老子・荘子」

なぜ人の心を知るのは天を知るよりもむずかしいのか。天には春夏秋冬、朝と晩といったぐあいに一定の周期があるのに対して、人間は容貌を飾って心の中を外に見せないからだという。だが、そんな人間でも、相手を見分ける方法があるのだとして『荘子』はつぎの八項目をあげている。

1、遠方で仕事をやらせてみて、相手の忠誠心をためしてみる。

2、近くで仕事をやらせてみて、相手の人柄を観察する。

3、面倒な仕事を担当させてみて、相手の能力をためしてみる。

4、思いがけない質問をしてみて、相手の見識をためしてみる。

5、あわただしく約束をとりかわして、それを守るかどうかをためしてみる。

6、お金を与えてみて、どの程度思いやりがあるかを観察する。

7、酒に酔わせてみて、社会人としてのケジメのつけ方を観察する。

8、女と一緒にしてみて、どの程度色を好むかを観察する。
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2014年06月17日

≪ 切磋琢磨 ≫


匪(ひ)たる君子有り、切るが如く磋(する)が如く、琢(う)つが如く磨くが如し。 [漢詩名句集]

人格の向上に努める君子をほめたたえ、理想的な領主を賛美する「淇奥」の詩の一節で、”切磋琢磨“の語源となったという。

淇の川の畔を見渡すと、緑の竹が美しい。その竹のように立派な領主さま(匪たる君子)は、細工師が象牙や玉を切ったりやすりをかけたり、つちとのみでけずったり砂や石で磨いたりするように修養を積み、威厳があって寛大、英明で穀然としていらっしゃる・・・。

ひとくちに、”切磋琢磨“といってしまえば、抽象的で実感に乏しい言葉になってしまうが、切る・磋る・琢つ・磨くのいずれも、骨身を削る痛みをともなう動作である。

心身を苦しめるほどの修練にうち勝たなければ、本当に自分をみがいたとはいえない。とある

ところで、自らをきびしく律し鍛えてきたことが、他人に対するきびしさを生み、寄りつきにくい人柄を育てる例も見受ける。わが身の痛みから、他人の痛みへと理解が広がらなければ本物とは言えないのではないか。

この詩の終章が、「冗談がお上手で、けっしてひどいことはなさらない」と、心からなる親愛の情でしめくくられているのは、まことに示唆的といえる。
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2014年06月13日

≪ トップリーダー七つの戒め ≫


はかるなきに儆戒(けいかい)し、法度を失うなく、逸に遊ぶなく、楽に淫するなく、賢に任じて弐するなく、邪を去って疑うなく、疑謀は成すなかれ。 [大学・中庸]

政治に当たる者の心すべきことを七項目あげている。政治だけでなく、すべての組織のトップリーダーにとっても、そのまま当てはまるのではないか。

1.今好調だからといって、行先きどんな事態が待ち受けているかわからない。そういう不測の事態に対する備えを忘れないことが、「はかるなきに儆戒す」である。

1.「法度を失うなし」とは、法律を踏みはずさない、ケジメをきちんとつけるということ。

1.「逸に遊ぶなし」とは、安逸に流れないこと。トップがこれをやっては示しがつかない。

1.「楽に淫するなし」とは、楽しみに溺れないということ。溺れたのでは本業がお留守になる。

1.「賢に任じて弐するなし」とは、すぐれた人材を登用し、信頼して仕事をまかせること。

1.「邪を去って疑うなし」とは、悪は断固として取り除くということ。

1.「疑謀は成すなかれ」とは、これはどうかなと思ったことは、初めから実行に移すな、新しい事業に着手するときは十分に計画を練りあげてからやれ、ということ。
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2014年06月10日

≪ 指導しながら指導者ぶらない ≫


紅海の能(よ)く百谷(ひやくこく)の王たる所以は、その善くこれに下るを以ってなり。ここを以って能く百谷の王となる。  老子

大河や大海が河川の王者となっているのは、低い所に位置して、もろもろの流れを受け入れるからだという。言うまでもなく、上に立つ者は謙虚であれ、と語っているのである。

老子は、言葉を続けて次のように言っている。「立派な為政者は、国民を統治しようとするときは、謙虚な態度で国民にへりくだる。。国民を指導しようとするときには、自分は後ろに退いて、いっこうに指導者ぶらない。だから、上に坐っていても、国民は重いとは感じないし、先に立っていても、邪魔だとは感じない。
このように国民から喜んで迎えられるのは、才能や功績を競おうとしないからである。だから、国民はおのずと帰服する」


これは、民主主義の現代といえども、そっくりあてはまるかもしれない。ただし、現代の政治家は、選挙のときはやたらぺこぺこするが、選挙がすむと、とたんにふんぞりかえる人が少なくない。

こういうぺこぺこは謙虚というよりは卑屈というべきであって、老子の言っていることとは大きくずれている。

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