2014年10月02日

≪ 「天は意地悪、乗せられるな ≫


分にあらざるの福、ゆえなきの獲は、造物(ぞうぶつ)の釣餌(ちょうじ)にあらざれば、すなわち人生の機阱(きせい)なり。このところ着眼高からざれば、彼の術中に堕ちざること鮮(すくな)し。  [菜根譚]

自分に不相応な幸運や、正当な理由のない授かりものは、天が自分を誘惑するための餌であるか、さもなければ人が自分を陥れるためのワナかもしれない。ここのところをよく見きわめておかないと、彼らの術策にかかって、ひどいめにあいかねない。

「造物の釣餌」という発想はおもしろい。こんなうまいことがあるはずはないと、ほっぺたをつねるようなときは、よくよく心を引きしめたほうがよい。幸運に浮かれて上っ調子になるのはつまずきのもと、「天」もけっこう意地悪である。

困るのは、そうした幸運を、自分の実力や努力の正当な報いだとうぬぼれがちなことである。そのうぬぼれが、天の怒りでなければ周囲の人のねたみ、そねみを招いて、得意の絶頂から引きずりおろされるのだ。



posted by 吉野山ユッキー at 16:25| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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