2014年08月30日

≪ 用舎行蔵(ようしゃこうぞう) ≫


子、顔淵(がんえん)に謂(い)いて曰(いわ)く、「これを用うれば行ない、これを舎(す)つれば蔵(かく)る。ただ、われとなんじとこれあるかな」。子路(しろ)曰く、「子三軍を行なわば、たれとともにせん」。子曰く、「暴虎馮河(ぼうこひょうが)、死して悔いなき者は、われともにせず。必ずや事に臨みて懼(おそ)れ、謀(はか)りごとを好んで成す者なり」。  [論語](述而(じゅつじ))、

「いったん登用されれば全力を発揮するが、認められぬときはじっと静観している。これができるのは、わたしとおまえぐらいのものだろうね」と孔子は顔回にいった。

これを聞いて、子路はだまっていなかった。「それなら、もし先生が大国の総司令官になられたばあい、どんな人物を頼りにしますか」「素手で虎に立ち向かったり、歩いて黄河を渡るたぐいの命知らずはごめんだね。むしろ臆病なほど注意深く、成功率の高い周到な計画をたてる人間のほうが頼りになるよ」

三軍を率いる将に必要なのは勇気だが、それは懼れというものを知っている勇気であって、怖いもの知らずはただの変勇だという。

「用舎行蔵」という語は状況にいかに対応するかを決める際の、行動を示すものとして成語となっている。
posted by 吉野山ユッキー at 12:08| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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