2014年08月28日

≪ 泣いて馬謖(ばしょく)を斬る ≫


亮(りょう)、馬謖をして諸軍を督(とく)して前に在り、郃(こう)と街亭に戦わしむ。謖、亮の節度に違(たが)い、挙動宜しきを失し、大いに郃の破るところとなる。亮、西県の千余家を抜きて、漢中に還り、謖を戮(りく)してもって衆に謝す。  [三国志]

諸葛亮が魏討伐にのり出したのは、建興6(228)年のこと。が、緒戦でいきなりつまずく。先鋒の指揮を命じた馬謖が、諸葛亮の指令にそむいて拙劣な陣を敷き、魏の名将張郃(ちょうこう)に大敗を喫したためである。

馬謖は、「才器、人に過ぎ、好みて軍計を論ず」といわれた俊英。諸葛亮はその才能を愛し、共に語り合うときは夜の更けるのも忘れるほどだったという。だが、いかに最愛の部下であるとはいえ、馬謖の責任は明らかである。

諸葛亮は、軍法に照らして馬謖を斬罪(ざんざい)に処し、全軍に詫びたのであった。「泣いて馬謖を斬る」の名言が生まれたくだりであり、後世、信賞必罰の例としてよく引きあいに出される。

現代でも、経営の神様といわれた経営者がこんなことをいっている。「いざというときに、かわいい部下のクビを切れるのが、真の経営者である」
posted by 吉野山ユッキー at 10:18| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。