2014年08月25日

≪ どんな場合でも主導権を握れ ≫


よく戦う者は、人を致して人に致されず  [孫子]

「戦上手は、どんな場合にも主導権を握っており、相手に引き回されることはない」

権力、金力、武力、なんにせよ、とにかく力を持った強者が主導権を握るのは当たり前だが、孫子の兵法は、力を持たぬ弱者でも主導権を握ることができると強調する。

[老子」に「女性は受け身の立場をとりながら男性を操縦する(牝(めす)は常に静をもって牡(おす)にかつ)とあるのも、これと共通した考え方である。

孫子はその手段として「示形(しけい)の術」をあげている。それは、相手の力、欲望、心理などを遠隔操作することにより、こちらの意のままにしてしまうのである。

近代に至ってこの原理を活用したのは、毛沢東で、彼が優勢な国民党軍との戦いであみだし、ついで、強力な日本軍を悩ました遊撃戦術は、劣勢でありながら主導権を奪いとる手段であった。かれは「逃げることも主導的立場を回復する有力な方法である」といっている。

孫子のこの言葉は、「主体性」の問題と解釈することもできる。どんな場合でも、主体性を失ってはならないというわけである。流行にひきずられ、情報にふりまわされ、人に「致され」てばかりいたら、どうなるか。自分を失ってはならない。

相手が上司だろうと、権威者だろうと、また苦手だろうと、こちらから「致して」よるがいい。



posted by 吉野山ユッキー at 19:20| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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