2014年09月29日

≪ バランスに留意する ≫


善(よ)く生を養う者は羊を牧するが若(ごと)く然り。その後(おく)るるものを視(み)てこれを鞭(むちう)つ。   [老子・荘子] (達生篇)

「養生」 生を養うというのは、与えられた生命を全うすることである。わかりやすくいえば、長生きの秘訣と言ってもよい。それは、羊を飼うときの要領と同じなのだという。羊を飼うときは、つねに群れをまとめていくことに気をつかわなければならない。そのためには、どうすればよいか。

群れからはぐれそうな羊に鞭をくれれば、うまく群れをまとめていくことができる。健康を維持して生を全うするコツも、これと同じなのだという。ここで言わんとしているのは、全体の調和を考える、つねにバランスに留意するということにほかならない。

逆に言えば、片寄ってはいけない、ハメをはずしてはならない。ということ。たとえば、近頃騒がれている心と体のバランス。われわれ現代人は、潮流の激しい社会の中で、さまざまなストレスにさらされながら生活している。

そういうなかでは、どうしても心にひずみが生じ、そのひずみが体の面にも波及して体調までくずしてしまう。だから、体長を維持するためには、心の健康管理に留意してバランスを回復する必要がある。

荘子の言う「羊を牧するが若し」とは、そういうことであろう。


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2014年09月26日

≪ 男女七歳にして席を同じうせず ≫


七年にして、男女席を同じうせず、食を共にせず。八年にして、門戸を出入し、及び席に即(つ)き飲食するに、必ず長者に後(おく)る。始めてこれに譲るを教う。  [大学・中庸]

「男女七歳にして席を同じうせず」という有名なことばの出典がこれである。ただし、「席」というのは、むしろ という意味であるから、同じ むしろ に坐らせないということ。また「食を共にせず」というのは、同じ器からから食べ物をとらせないということ。

儒教は、「夫婦別あり」ということをきびしく言う。それを子供のころから教えこむということであろう。さらに「八年にして」以下の部分は、家や部屋に出入りするとき、席につくとき、飲食するとき、目上の者に先を譲ることを教えるというのである。

つまりは「長幼序あり」のケジメであって、これもまた、きわめて基本的な礼である。「席を同じうせず」のほうはともかくとして、「譲るを教う」のほうは現代でも意味を失っていない。やはりこういう基本的な礼というのは子供のころからしっかりとしつけるべきなのかもしれない。

現代の私どもはそういう点について、あまりにも無頓着なように思われる。

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2014年09月22日

≪ 富か地位かとなったら富だ ≫


富は上たり、貴は之に次ぐ。   [史記]

富を取るか地位を選ぶか。両方を同時に取れれば、これにこしたことはないが、実際は選択を迫られることがある。むしろ、人生の岐路においてしばしばある、といえるかもしれない。

これに対する答えを「冨が上、地位はその次」と明快にいった言葉だ。地位はまだ名誉と置き換えてもいい。簡潔だが、無難で、実際的な格言かもしれない。

まず、生活が基本だ。生活が築けないで、へたに地位など得ては、むしろ苦しみのもとになる。あるいは恥を多くかくもとといえるかもしれない。

カネ、カネ、カネとなれば、これはじつに重っくるしく、人生はカネだけではないと言いたい人もいるが、ここではそれほど凝りかたまるというのではなく、あくまでも、どちらかを選ばなければならず、そして自分でも迷って答えが出せないときのアドバイスにすぎない。

「黄直(こうちょく)は男性で、陳君夫(ちんくんふ)は女性であるが、この二人は馬のよしあしを見わけることで天下に名を知られた。斉(せい)の張仲(ちょうちゅう)と曲成侯(きょくせいこう)は剣術を学んで刺殺の名人になった。留長孺(りゅうちょうじゅ)は牛の鑑定で一家をなした」

かれらはまず生きる糧を得ることを選んで結果的に名もなした例としている。





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2014年09月19日

≪ 府中焼きと日本一の石灯籠 ≫


所用があり府中市へ行き、昼食に備後府中焼きを食べにいった。府中焼きのお店は38軒あるそうでその特徴として、府中焼きは、広島県東部備後地方の府中市で昔から愛され続けているお好み焼き。最大の特徴は中の”ミンチ肉。そば入りのお好み焼きは、ミンチの旨みと野菜が一緒になり、中はフワッ、外はミンチの旨みでカリッとした焼き上がり。香ばしいそばが旨い。

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食事中近くに、日本一の石灯籠があると聞き見物に行ってみた。金毘羅神社にある地上総高9m・笠石面積7.4uの石灯籠で日本一といわれているそうだ。

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2014年09月15日

≪ ヒマは自分でつくり出すもの ≫


つねに朝哺(ちょうほ)をもって事を聴き、その間、賓客(ひんかく)を接納(せつのう)し、飲食嬉戯(きざ)す。これに加うるに博奕(ばくえき)し、つねに人の歓を尽くし、事また廃せず。  [三国志]

いつも朝食をとりながら政務を処理し、あいまを見ては客を引見して談笑する  蜀の内政を担当した費禕(ひい)の日常の執務ぶりは、このようであったという。

かれは、諸葛亮に後事を託されたひとり。人並すぐれた判断力の持ち主で、書類を決裁するときは、さっと目をとおしただけで、内容をのみこんだ。そのスピードは人より数倍も速く、しかも、一度目をとおしたものは決して忘れなかったといわれる。

当時の蜀は戦時体制下にあり、公務は多忙をきわめていた。費禕は食事もゆっくりできないほどの激務をこなしながら、そのいっぽうで、ギャンブルに興ずるなど、人生を楽しむことも欠かさなかった。もちろん、そのために政務がおろそかになったことはない  表題のことばの後半は、こういう意味のことをいっている。

「仕事に追われてなかなか”ヒマ”ができない」とは、われわれがよく口にする嘆きである。しかし、”ヒマ"というのは自分でつくり出すもののようだ。むしろ多忙な人ほど、”ヒマ”をつくり出すすべを心得ているような気がしないでもない。

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2014年09月11日

≪ 忙しがり屋の無駄骨折り ≫


歳月もと長く、しかして忙し(せわ)しき者みずから促(せま)れりとす。天地もと寛(ひろ)く、しかしていやしき者みずからせばしとす。風花雪月もと間(しずか)。しかして労攘(ろうじょう)の者みずから冗(じょう)なりとなす。  [菜根譚]

歳月は本来長く続くものだ。それなのに忙しがり屋は、自分からこれを縮めて苦労している。天地は限りなく広いものだ。それなのに心の小さい者は、自分からこれを狭めて苦労している。

四季の自然の趣はまことにのどかなものだ。だがむだ骨折りが好きな者には、それをさえ楽しむゆとりがない。現代のサラリーマンには、ワーカホリック[働き中毒)にかかった人が少なくないという。

終始、仕事に追い回されているうちに、それがふつうの状態となって、たまに暇ができると時間をどう使ってよいかわからず、不安で仕方なくなるそうだ。

近頃はそれが子どもの世界にまで広がって、塾も、稽古ごとも、家族との外出ない日曜日は、何をしていいかわからないから嫌いだという子が多いとのこと。

いずれも周りに追い回されているうちに、自分は本当にどのように生きたいのかがわからなくなった悲劇である。価値ある人生を送るためには、まずみずからの姿勢を確立することが先決であろう。
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2014年09月07日

≪ 指導法 ≫


子曰く、「求(きゅう)や退(しりぞ)く、故(ゆえ)にこれを進む。由(ゆう)や人を兼(か)ぬ、故にこれを退く」。  [論語](先進)

あるとき子路が、「教えをうけたら、直ちに実行すべきでしょうか」とたずねると、孔子は、「父兄がいることだ。父兄に相談もせずに実行してはいけない」といった。

冉有(ぜんゆう)が同じ質問をしたとき、孔子は「すぐに実行に移しなさい」と言った。公西華(こうせいか)がそれを聞いていて、「由(ゆう)には父兄がいることだと答え、求(冉有)にはすぐに実行しなさいとお答えになりました。いったい先生の真意はどちらなのか腑におちません」とたずねた。

それに対する孔子の答えが、「求は人間が引っ込み思案だ、だから積極性をうながした。由は人の分までやろうとする。だから手綱を引きしめたのだよ」というのである。

指導法が一本調子では効果が薄い。それはわかっていても、人間にはどうしてもソリの合う合わないがある。ソリが合えばおのずと力がはいるが、そうでないとつい逆になる。

だが指導を受ける側の人間は、そういうことには敏感だ。できる部下がいないのではない。部下の個性や特長をつかみきれていないのではないかと、指導者はときには自分の胸にきいてみることが必要ではないか。



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2014年09月04日

≪ 他人に対して過大な期待をしない ≫


君子は、その能(よ)くする所の者を以って人を病(や)ましめず、人の能くせざる所の者を以って人をはずかしめず。  [大学・中庸] (礼記・表記)

君子は、自分ができるからといって、同じことを他人に期待して相手を苦しめるようなことはしない。また、相手ができないことを無理やり押しつけて、わざわざ恥をかかせるようなことはしないものだという。

これはとくに、部下を使う立場の人間にとっては、大事な心構えになるであろう。私どもは部下に対してよく「なんだ、こんなこともできないのか」などという。自分の能力に自信を持っている上司ほど、これを口にする。

言う本人は気持ちいいかもしれないが、言われる部下のほうはたまったものではない。へたをすると、妙な反抗心ばかり植えつけることにもなりかねない。そうならないためには、上司の側につぎのことが望まれる。

第一に、仕事を命ずるときは、相手の能力を見きわめ、無理なく消化できる範囲内で命ずる。

第二に、人間はだれでも長所と短所を併せ持っている。できれば短所には目をつぶり、長所を発揮できるようにしむけること。

ここで「礼記」が語っているのも、そういうことにほかならない。
posted by 吉野山ユッキー at 19:59| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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