2014年08月30日

≪ 用舎行蔵(ようしゃこうぞう) ≫


子、顔淵(がんえん)に謂(い)いて曰(いわ)く、「これを用うれば行ない、これを舎(す)つれば蔵(かく)る。ただ、われとなんじとこれあるかな」。子路(しろ)曰く、「子三軍を行なわば、たれとともにせん」。子曰く、「暴虎馮河(ぼうこひょうが)、死して悔いなき者は、われともにせず。必ずや事に臨みて懼(おそ)れ、謀(はか)りごとを好んで成す者なり」。  [論語](述而(じゅつじ))、

「いったん登用されれば全力を発揮するが、認められぬときはじっと静観している。これができるのは、わたしとおまえぐらいのものだろうね」と孔子は顔回にいった。

これを聞いて、子路はだまっていなかった。「それなら、もし先生が大国の総司令官になられたばあい、どんな人物を頼りにしますか」「素手で虎に立ち向かったり、歩いて黄河を渡るたぐいの命知らずはごめんだね。むしろ臆病なほど注意深く、成功率の高い周到な計画をたてる人間のほうが頼りになるよ」

三軍を率いる将に必要なのは勇気だが、それは懼れというものを知っている勇気であって、怖いもの知らずはただの変勇だという。

「用舎行蔵」という語は状況にいかに対応するかを決める際の、行動を示すものとして成語となっている。
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2014年08月28日

≪ 泣いて馬謖(ばしょく)を斬る ≫


亮(りょう)、馬謖をして諸軍を督(とく)して前に在り、郃(こう)と街亭に戦わしむ。謖、亮の節度に違(たが)い、挙動宜しきを失し、大いに郃の破るところとなる。亮、西県の千余家を抜きて、漢中に還り、謖を戮(りく)してもって衆に謝す。  [三国志]

諸葛亮が魏討伐にのり出したのは、建興6(228)年のこと。が、緒戦でいきなりつまずく。先鋒の指揮を命じた馬謖が、諸葛亮の指令にそむいて拙劣な陣を敷き、魏の名将張郃(ちょうこう)に大敗を喫したためである。

馬謖は、「才器、人に過ぎ、好みて軍計を論ず」といわれた俊英。諸葛亮はその才能を愛し、共に語り合うときは夜の更けるのも忘れるほどだったという。だが、いかに最愛の部下であるとはいえ、馬謖の責任は明らかである。

諸葛亮は、軍法に照らして馬謖を斬罪(ざんざい)に処し、全軍に詫びたのであった。「泣いて馬謖を斬る」の名言が生まれたくだりであり、後世、信賞必罰の例としてよく引きあいに出される。

現代でも、経営の神様といわれた経営者がこんなことをいっている。「いざというときに、かわいい部下のクビを切れるのが、真の経営者である」
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2014年08月27日

≪ 取ろうとするなら まず与えよ ≫


まさにこれをちぢめんと浴すれば、必ず姑(しばら)くこれを張る。まさにこれを弱めんと欲すれば、必ず姑くこれを強くす。まさにこれを去らんと欲すれば、必ず姑くこれに与(くみ)す。まさにこれを奪わんと欲すれば、必ず姑くこれに予(あた)う。

「縮めようとするなら、まず伸ばしてやる。弱めようとするなら、まず強くしてやる。追い出そうとするなら、まず味方に引き入れる。取ろうとするなら、まず与えてやる」マキアベリ顔負けのしたたかな策略。

「道」だとか「徳」だとか言いながら、一方でこういうマキアベリズムを説くところに、老子の端倪(たんげい)すべからざるところがある。しかも、二つの顔は矛盾しいるわけではない。老子は、戦国乱世の時代に、弱者の立場に身を置いて、厳しい現実を生き残るにはどうすればよいか、その方途を考える。そのためには、まず、「道」と一体化して「道」のもっている「徳」を身につける必要があるし、こういうマキアベリズムも必要なのだという。

マキアベリズムは換言すれば、政治性と言ってもよいという。単細胞的な頭をしていたのでは、乱世のなかを生き残ることができない。生き残るために二は、こういう政治性が必要とされる。



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2014年08月25日

≪ どんな場合でも主導権を握れ ≫


よく戦う者は、人を致して人に致されず  [孫子]

「戦上手は、どんな場合にも主導権を握っており、相手に引き回されることはない」

権力、金力、武力、なんにせよ、とにかく力を持った強者が主導権を握るのは当たり前だが、孫子の兵法は、力を持たぬ弱者でも主導権を握ることができると強調する。

[老子」に「女性は受け身の立場をとりながら男性を操縦する(牝(めす)は常に静をもって牡(おす)にかつ)とあるのも、これと共通した考え方である。

孫子はその手段として「示形(しけい)の術」をあげている。それは、相手の力、欲望、心理などを遠隔操作することにより、こちらの意のままにしてしまうのである。

近代に至ってこの原理を活用したのは、毛沢東で、彼が優勢な国民党軍との戦いであみだし、ついで、強力な日本軍を悩ました遊撃戦術は、劣勢でありながら主導権を奪いとる手段であった。かれは「逃げることも主導的立場を回復する有力な方法である」といっている。

孫子のこの言葉は、「主体性」の問題と解釈することもできる。どんな場合でも、主体性を失ってはならないというわけである。流行にひきずられ、情報にふりまわされ、人に「致され」てばかりいたら、どうなるか。自分を失ってはならない。

相手が上司だろうと、権威者だろうと、また苦手だろうと、こちらから「致して」よるがいい。



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2014年08月23日

≪ 謙虚・信念・慎重 ≫


人の悪を攻むるを須(もち)いず、己の善(ぜん)を伐(ほこ)るを須いず。之を行うときは則(すなわ)ち行う可(べ)く、之を巻くときは則ち巻く可し。禄厚ければ責めの大なるを憂い、言深ければ交わりの浅きを慮(おもんばか)る。     [唐詩選] 

職場における人づきあいの心得三カ条。

他人の欠点をとがめたり、自分の長所をひけらかしたりせず、常に謙虚な態度で人に接する。これがまず第一。

だからと言って、何事によらず他人に迎合するであってはならない。主張すべきことは堂々と主張し、容れられなければ潔く職を退くだけの強い信念の裏打ちが必要。これが第二。

第三には、慎重さ。地位が上がったらそれを鼻にかけるのではなく、責任の重さを自覚すること。また、うち割った話をしなければならぬときは、あいてがそれに値するだけの深い関係にあるかどうか、よく考えてからにせよ。

この三カ条を忘れずにいれば、子どもでも間違いなく成功するだろう、と寒山はいう。彼の経歴を語る詩をみると、役人として二代皇帝に仕え、結局うだつがあがらずに終わったということだが、その苦い体験が生んだ忠告として、坊主の説教などにはない説得力が感じられる。


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2014年08月19日

≪ 張り合いすぎるは共倒れのもと ≫


「歯の堅き也(や)、六十にして尽く。相ますれば也」と。今富摯(ふうし)は能あり、而(しこ)うして公は重し。相喜(あいよ)からずんば、是れ両(ふた)つながら尽くる也。   [戦国策]

「歯というものは固いのに、六十歳にもなればだめになってしまいます。互いに摩擦するからです。富摯(ふうし)は有能で、あなたは重んじられておいでです。お互い仲よくなさらないと共倒れになりますぞ」

楚の重臣の黄斉(こうせい)は、同僚の富摯と仲が悪かった。ある人が黄斉に忠告して言う。

「あなたは、老萊子(ろうらいし)が孔子に、君に仕える道を説いたのをご存じでしょう。老萊子は自分の歯を指して、このように言ったのです。王様は、いま富摯をご寵愛ですが、あなたが富摯と仲よくなさらないのは不忠に当たりますぞ」と。

ライバル同士、仲よくしろといわれても、なかなかそうもできないのが人情だが、お互いにとげとげしく張り合ってばかりいると、上からも周囲からも愛想をつかされて、仲よく左遷させられるというケースもある。

切磋琢磨は結構だが、度が過ぎて欠け落ちてしまっては元も子もないのではないか。

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2014年08月18日

≪ 知っていても知らないふり ≫


知りて知らずとするは、尚(しょう)なり。知らずして知れりとするは、病(へい)なり。  [老子・荘子]

「知っているのに知らないふりをする。これが最高のあり方だ。知りもしないのに知ったかぶりをする。これは重大な欠点だ」というのである。

孔子は、同じ「知る」ということについて、「これ知るをこれを知るとなし、知らざるを知らずとなす。これを知るなり」と論語の中で語っている。

これに対し、「知りて知らず」とする老子の主張はきびしい現実生きていく処世の知恵として活用することができるという。

たとえば、上司として部下に臨む場合がある。部下の能力や生活ぶりを一応把握しておかなければ、上司としての責任が果たせない。「知りて知らず」とするところに、無言のの圧力が生じてくる、これを忘れてはならない。

人生のいろんな局面で「知りて知らず」を効果的に使えるようになれば、人生の達人と言ってよいのではないだろうか

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2014年08月16日

≪ 臥薪嘗胆 ≫


夫差(ふさ)、讎(あだ)を復(ふく)せんと志す。朝夕薪中(しんちゅう)に臥し、出入するに人をして呼ばしめて曰く、「夫差、なんじは越人のなんじの父を殺せしをわすれたるか」…勾践、国に反(かえ)り、胆を坐臥(ざが)に懸(か)け、胆を仰ぎこれを嘗(な)めて曰く、「なんじ会稽(かいけい)の恥を忘れたるか」     [十八史略]

春秋時代末期にあたる前5世紀、周王朝の統制力は衰え、諸侯国は覇を競いあう。長江の下流、江南地方では、いまの蘇州に都をおく呉国と紹興(しょうこう)に都する越国とがしのぎをけずっていた。

まず、呉王の闔閭(こうりょ)が越に攻撃をしかけたが、傷がもとで死んだ。あとをついだ子の夫差(ふさ)は、薪のうえで寝起きし(臥新)、その痛みにつけても復讐心を燃えたたせ、さらに出入りするたびに臣下に、「父君が越王に殺されたことをお忘れか」といわせた。

こうして二年たち、夫差は越を攻めて会稽(かいけい)で越軍を破り、勾践を臣従させた。勾践は自分の寝起きしているところに獣の干し胆をつるしておき、胆を嘗(な)めて(嘗胆)苦味で心をひきしめては、「会稽の恥を忘れたか」と自分に言いきかせた。

こうして二十年たって越は呉を滅ぼし、呉王夫差が自決して終わるのだが、この故事から、ある目的を達するために耐えて忍んで艱難辛苦することを「臥薪嘗胆」というようになったという。
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2014年08月12日

≪ 子どもはだませない ≫


嬰児(えいじ)は知あるにあらざるなり、父母を持ちて学ぶ者なり。 「韓非子」

子どもをだましてはいけない。子どもをだますことは、子どもにウソを教えることだ。

曹子の妻が買い物に出かけようとした。すると子どもがあとを追って泣いた。「家で待ってなさい。帰ってきたら、豚をつぶして食べさせてあげるからね」

妻が帰ってくると、曹子は豚を捕えてつぶそうとした。妻は慌てて言った。「本気ではありませんよ。ただ子どもをだましただけですよ」

曹子はこれを聞いて言った。「子どもをだましたりしてはいけない。子どもは何も知らず、なんでも親のすることをまねするんだ(嬰児は知あるにあらざるなり、父母を待ちて学ぶ者なり)。

そうやって親から教わっていく。だから子どもをだませば、親が子どもにウソを教えることになる。母親が子どもにウソをついて、子どもが母親を信じなくなったら、もう母親が子どもに教えるなんてできなくなるんだ」

わかっていても、つい子どもをだますのが親である。大学ですっかりやる気をなくして落第ばかり続けている学生が言った。小さいときから母親に次々とウソの交換条件を持ち出されて勉強を強いられたものだと。騙された心の傷は意外に深いものだ。
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2014年08月09日

≪ 子供の育て方を見れば人物がわかる ≫


その地にあらざれば之を樹(う)とうとも生ぜず、その意にあらざれば之を教うとも成らず。 [史記]

「植物は、適した土地に植えるのでなければ育たない。子どもも、やる気がないのにこれを教えようとしても、ものにはならない」

前半が有名だが、意味は後半のほうにある。親が子どもを自分の思うとおりに育てたいと思うことは少なくない。これは昔も今も同じ。

とくにまずいのは、父親がなろうとしてなれなかった道を子供に強いたり、母親が虚栄から子どもに道を選ばせるケース。子どもは従おうにも興味がなく苦痛ばかりを味わわされる。

「したがって、子弟の教育状態を見れば、父親の人物のほどがわかるといわれる。子どもが自分に適した道を歩んでいれば、父親は賢人ということができる」

それには、子どもがどんな道を好んでいるか、それを見てやることが肝心だという。あたりまえのことだが、実際はなかなかできない。   

馬や牛のよしあしの鑑別で名をなし財を築いた人がいる、と例を並べている。このように技能の道を選んで成功した例は無数にある。一方、嫌がる勉強を強いて、才能をうもらせたまま人生を送ってしまった例はそれ以上にある。昔から親はあまり賢いとはいえないようだ。

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2014年08月06日

≪ 孫と遊ぶ ≫

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大阪にいる孫たちがやって来た。早速 町内にできた公園に行って遊んできた。広島に出かけ遊ぶことが多かったが、公園の遊具で十分楽しむことができる。、海のそばにあり沢山の人が子供ずれで楽しんでいた。

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2014年08月05日

≪ 「道」を聞いて笑い出す人 ≫


上士は道を聞いては、勤めて能(よ)くこれを行う。中士は道を聞いては、存するが若(ごと)く亡するが若し。下士は道を聞いては、大いにこれを笑う。  [老子・荘子]

「すぐれた立派な人物は、”道を教えられると、即座に実行する。中程度の人間は、”道を教えられても半信半疑である。つまらぬ人間は、”道を教えられると、腹をかかえて笑い出す」というのだ。

なるほど、どんな立派な教えを聞いても、上の空で聞きながしたり、一笑に付したりしたのでは、「馬の耳に念仏」のたぐいかもしれない。

「道」とは、形もなく音もないので、目で見ることもできないし、耳で聞くこともできない、漠とした存在である。だから、頭で理解しようとしても無理であって、心で悟るよりないのかもしれない。

上士とは心で悟れる人、中士とは頭で理解しようとする人と言ってもよい。願わくば、腹をかかえて笑い出す下士にだけはなりたくないものだ。

熱心な老子のファンの人は、老子のこの言葉を書き出して居間に掲げ、毎日それを眺めて暮らしているという。わかってもわからなくても、なにかを会得できれば、それでよいのではないだろうか。
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2014年08月02日

≪ 先頭にも立たず、ビリにもならず ≫


進んで敢(あ)えて前とならず、退(しりぞ)きて敢えて後ろとならず。 [老子・荘子]

先頭にも立たず、ビリにもならず、中段あたりにつけてマイペースで走る。そんな生き方が理想的なのだという。なぜ先頭に立ってはいけないのか。幾つかの理由が考えられる。

第一は、先頭を譲るまいとすれば、どうしても限界を超えた頑張りを必要とする。無理をして頑張れば、息切れを起こす。これでは長続きしないばかりか、レース途中でつぶされてしまう。

第二は、先頭に立てば、いやでも目立つ。目立てば、敵の標的荷されて集中砲火をあびる。その結果、真っ先につぶされてしまう。

第三に、敵は外部だけでなく、内部にもいる。恐いのは外部の敵よりも、むしろ内部にいるライバルだ。目立ちすぎれば、この内部のライバルにも足を引っぱられる。

以上のような理由で、「進んで敢えて前とならず」がよしとされるのである。では、ビリになってはなぜまずいのか。これは言うまでもなく、あまりにも成績が悪いと、批判にさらされて身の置き所にこまるからである。

要は、目立たず、落ちこぼれず、そんな生き方を心がけるなら、どんな時代でも、しぶとく生き抜いていくことができるのだという。




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