2014年06月28日

≪ 不作法を怒る前に ≫


敬せられざるに至れるは、これわが徳修まらざるなり  「史記」

相手から敬意を持たれない、つまりあまく見られるのは、自分のほうに敬意を持たれるだけのものがないからだ、という意味。

これが形だけとなると、「わが不徳のいたすところ」という今日の政治家などの使い方となる。

ひとかどの遊侠の徒として知られる郭解(かくかい)が、ある日、外出した。かれと見ると人々は道をゆずるのが常だったが、その時は、一人の男が不作法に足を投げ出したまま郭解を見ていた。郭解は手下に命じてかれの名を聞いてこさせた。

郭解に世話になっている者がこれを見て、郭解が腹を立てていると思い、かわって自分がその男を殺そうとした。すると郭解がとめた。

「いや、あまく見られるのは、こちらがまだまだだからだ」(敬せられざる…)そればかりか、村役場に足をはこんで、頼み込んだ。

「私に大事なことを教えてくれた人だ。ひとつ兵役の義務を免除してやってもらえないか」

まもなく若者がみな兵役にかり出されるのに、その男のところには召集令状が来ない。男は不審に思って役場で尋ねると、いきさつがわかった。

男は郭解を訪れ、その前にひざまずき、肌脱ぎして平謝りにあやまった。


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2014年06月26日

≪ 野菜づくりに挑戦 ≫


庭に菜園をつくり、トマト、きゅうり、ピーマン、なすび の栽培に挑戦した。

ピーマンは枯れてしまったが なんと きゅうり、なすび、トマトは順調に育ち、初取りした。水やり 肥料やり等いろいろと手間暇がかかったが、成長していくのを毎日見ると最高の気分になる。

ましてや、きゅうり、なすび、を初取りしたときは感動した。

野菜を育てるのも、人間を育てるのも一緒、これからも、少しづつ、種類を広げようと思う。

「きゅうりとなすび、トマト」

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2014年06月23日

≪ 人間には八つの欠点がある ≫


人に八疵(はっし)あり   [ 老子・荘子 ]

人間には、次の八つの欠点があるのだという。

1、揔(そう)。自分がやるべき仕事でもないのに、余計な手出しをする。つまりは出しゃばりである。

2、佞(ねい)。聞かれもしないのに、こちらからしゃしゃり出て意見を述べる。つまりはおべんちゃらである。

3、諂(てん)。相手の意を迎えて調子を合わせる。つまりはおべっかである。

4、諛(ゆ)。是非のけじめなどおかまいなしにしゃべりまくる。つまりはへつらいである。

5、讒(ざん)。なにかといえば他人の悪口を言いたがる。つまりはねたみである。

6、賊(ぞく)。他人を仲たがいさせ、親しい者同士をを離間させる。

7、慝(とく)。悪をほめ善をけなして相手をダメにする。

8、険(けん)。善悪におかまいなしに愛想をふりまいてあいてにおもねる。

全部とは言わないまでも、この中の一つや二つは、誰にでも覚えがあるかもしれない。「荘子」はこの八項目をあげたあとで、「この八疵は、外は以って人を乱し、内は以って身を傷(やぶ)る」と語っている。
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2014年06月21日

≪ 人間鑑別法 ≫


人の心は山川よりも険しく、天を知るよりも難し 「老子・荘子」

なぜ人の心を知るのは天を知るよりもむずかしいのか。天には春夏秋冬、朝と晩といったぐあいに一定の周期があるのに対して、人間は容貌を飾って心の中を外に見せないからだという。だが、そんな人間でも、相手を見分ける方法があるのだとして『荘子』はつぎの八項目をあげている。

1、遠方で仕事をやらせてみて、相手の忠誠心をためしてみる。

2、近くで仕事をやらせてみて、相手の人柄を観察する。

3、面倒な仕事を担当させてみて、相手の能力をためしてみる。

4、思いがけない質問をしてみて、相手の見識をためしてみる。

5、あわただしく約束をとりかわして、それを守るかどうかをためしてみる。

6、お金を与えてみて、どの程度思いやりがあるかを観察する。

7、酒に酔わせてみて、社会人としてのケジメのつけ方を観察する。

8、女と一緒にしてみて、どの程度色を好むかを観察する。
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2014年06月17日

≪ 切磋琢磨 ≫


匪(ひ)たる君子有り、切るが如く磋(する)が如く、琢(う)つが如く磨くが如し。 [漢詩名句集]

人格の向上に努める君子をほめたたえ、理想的な領主を賛美する「淇奥」の詩の一節で、”切磋琢磨“の語源となったという。

淇の川の畔を見渡すと、緑の竹が美しい。その竹のように立派な領主さま(匪たる君子)は、細工師が象牙や玉を切ったりやすりをかけたり、つちとのみでけずったり砂や石で磨いたりするように修養を積み、威厳があって寛大、英明で穀然としていらっしゃる・・・。

ひとくちに、”切磋琢磨“といってしまえば、抽象的で実感に乏しい言葉になってしまうが、切る・磋る・琢つ・磨くのいずれも、骨身を削る痛みをともなう動作である。

心身を苦しめるほどの修練にうち勝たなければ、本当に自分をみがいたとはいえない。とある

ところで、自らをきびしく律し鍛えてきたことが、他人に対するきびしさを生み、寄りつきにくい人柄を育てる例も見受ける。わが身の痛みから、他人の痛みへと理解が広がらなければ本物とは言えないのではないか。

この詩の終章が、「冗談がお上手で、けっしてひどいことはなさらない」と、心からなる親愛の情でしめくくられているのは、まことに示唆的といえる。
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2014年06月13日

≪ トップリーダー七つの戒め ≫


はかるなきに儆戒(けいかい)し、法度を失うなく、逸に遊ぶなく、楽に淫するなく、賢に任じて弐するなく、邪を去って疑うなく、疑謀は成すなかれ。 [大学・中庸]

政治に当たる者の心すべきことを七項目あげている。政治だけでなく、すべての組織のトップリーダーにとっても、そのまま当てはまるのではないか。

1.今好調だからといって、行先きどんな事態が待ち受けているかわからない。そういう不測の事態に対する備えを忘れないことが、「はかるなきに儆戒す」である。

1.「法度を失うなし」とは、法律を踏みはずさない、ケジメをきちんとつけるということ。

1.「逸に遊ぶなし」とは、安逸に流れないこと。トップがこれをやっては示しがつかない。

1.「楽に淫するなし」とは、楽しみに溺れないということ。溺れたのでは本業がお留守になる。

1.「賢に任じて弐するなし」とは、すぐれた人材を登用し、信頼して仕事をまかせること。

1.「邪を去って疑うなし」とは、悪は断固として取り除くということ。

1.「疑謀は成すなかれ」とは、これはどうかなと思ったことは、初めから実行に移すな、新しい事業に着手するときは十分に計画を練りあげてからやれ、ということ。
posted by 吉野山ユッキー at 11:02| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年06月10日

≪ 指導しながら指導者ぶらない ≫


紅海の能(よ)く百谷(ひやくこく)の王たる所以は、その善くこれに下るを以ってなり。ここを以って能く百谷の王となる。  老子

大河や大海が河川の王者となっているのは、低い所に位置して、もろもろの流れを受け入れるからだという。言うまでもなく、上に立つ者は謙虚であれ、と語っているのである。

老子は、言葉を続けて次のように言っている。「立派な為政者は、国民を統治しようとするときは、謙虚な態度で国民にへりくだる。。国民を指導しようとするときには、自分は後ろに退いて、いっこうに指導者ぶらない。だから、上に坐っていても、国民は重いとは感じないし、先に立っていても、邪魔だとは感じない。
このように国民から喜んで迎えられるのは、才能や功績を競おうとしないからである。だから、国民はおのずと帰服する」


これは、民主主義の現代といえども、そっくりあてはまるかもしれない。ただし、現代の政治家は、選挙のときはやたらぺこぺこするが、選挙がすむと、とたんにふんぞりかえる人が少なくない。

こういうぺこぺこは謙虚というよりは卑屈というべきであって、老子の言っていることとは大きくずれている。

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2014年06月07日

≪ 太っ腹の人間的魅力 ≫


善馬を食いて酒を飲まずんば人を傷(やぶ)る。

始皇帝の先祖である秦の繆公(ぼくこう)は、なかなか太っ腹な人物だったという。あるとき、岐山(陝西省西部)の王室牧場から数頭の良馬が逃げ出した。山麓の農民たちが、それを捕まえて食ってしまった。

これを知った役人が調べたところ、関係者は三百人にも上った。役人は全員を逮捕し処刑しようとしたが、報告を受けた繆公がとめた。

〈良馬を食ったなら、酒を飲まないと体に悪いぞ〉繆公は、かれらに酒をふるまい、許してやった。

これには後日談がある。繆公が晋の恵公と戦って包囲され、あわやというときに三百人あまりがかけつけて救ってくれたが、それはかって馬を食った連中であったという。

こういった太っ腹な言動は、作為からだと嫌味になるが、巧まずして人がらから滲み出ている場合は相手をひきつける魅力となる。

後代になるが、秦滅亡のあとをうけて漢を創建した高祖劉邦(りゅうほう)にもこういうところがあったそうだ。かれが郷里の村長だったときのこと。皇帝陵の工事人夫として徴用された村人を、驪山(りざん)(西安市の東)に護送していく途中、つぎつぎと逃亡者が出て、計算からすると到着したころはいなくなってしまう。

劉邦は酒盛りをして「みな逃げるがいい。わしも逃げる」と言って解散してしまった。なかの十数人が後に歴戦の部下となったとある。





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2014年06月04日

≪ 能ある鷹は ・・・≫


鷹の立つは睡るがごとく、虎の行くは病むに似たり、まさにこれ他の人を攫み人を噬(かむ)む手段のところ。ゆえに君子は聡明露(あら)われず、才華逞しからざるを要す。 「菜根譚」

鷹がたたずんでいる姿は眠っているようであるし、虎の歩くさまは病気のように見える。だが、それこそ彼らが、人をとらえ、噛み伏せるための手口なのだ。

賢明さを表わさず、才能を振り回さないのが君子のあり方。それでこそ天下の大事業を果たすことができる。

日本のことわざにも「能ある鷹は爪を隠す」とあるが、軽々しく自分の力量をひけらかすようでは大きな仕事はできない。

何ごともないときは毒にも薬にもならぬ凡庸ぶりで「昼あんどん」と呼ばれていた大石内蔵助が、いざお家の一大事となると抜群の政治力、組織力を発揮して、みごと本懐を遂げた。

強いて無能をよそおわぬまでも、いざ出番というときまでは力を養いつつ控えめな態度に終始していたほうが、演出効果からいっても有利ではないだろうか。
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2014年06月01日

≪ 人を動かす二つのカギ − 心と物 ≫


敵を殺すものは怒なり。敵の利をとるものは貨なり。 「孫子」

〈兵士が敵を殺せるのは怒りの感情があるからであり、戦利品を奪うのは物に対する欲望があるからだ。〉

人を行動にかりたてる「心」の作用は大きい。

人を動かす場合、人に働きかける場合、何よりも相手の心の状態を考えてみよう。

唐の張蘊古(ちょううんこ)は、「人を使うに心をもってせよ」といっている。これは帝王学のABCだ。

もちろん、すべての人が、すべての場合、心だけで動くとはかぎらない。人間はそれほど甘くない。人の行動にかりたてる「物」の作用も無視できない。

心と物。それは車の前輪と後輪である。どちらが欠けても、車はスムーズに動かない。前輪駆動車をえらぶか後輪駆動車にするか、理想的なのは四輪駆動車ではなかろうか。

posted by 吉野山ユッキー at 18:52| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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