2014年12月21日

≪ 生きるための知恵 六度万行 ≫

 
お釈迦様は、一切の諸善、ありとあらゆる善を6つにまとめて『六度万行(ろくどまんぎょう)』と教えられました。苦しみ悩みのこの人生を渡すには6つの道があるということです。

この『六度万行』がすごいのは、どれでも自分にあったものを一つ一生懸命やれば、全部やったことになるそうです。

生きるための『六度万行』とは   
                (反対)
1.布施(親切)        → →  ケチ
2.持戒(言行一致)      → →  約束を破る
3.忍辱(忍耐)        → →  いかり
4.精進(努力)        → →  なまける
5.禅定(反省)        → →  心が散り乱れている
6.智慧(修養)        → →  恨んだりねたんだり人のせいにする


つまり、あなたがどんな分野で活躍しておられても、ケチで、約束は破り、すぐに腹を立て、すぐにサボって、集中力がなく、人を恨んだりねたんだりしていると、不幸になり、

親切で、約束を守り、忍耐強く、反省して努力して身を修め養ってゆけば、幸せになるということです。






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2014年11月25日

≪ ジャンジャカ ≫


きょうは 孫たちと 焼き肉を食べにいってきました。美味しかったです。

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2014年11月24日

≪ 広島城 ≫


連休に孫たちがやってきました。お城に興味があるということで広島城に行ってきました。

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天守閣から見た 東西南北

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2014年11月18日

≪ 一竜ラーメン ≫


久しぶりに 一竜ラーメンにいった ここは毎週水曜日はたまご食べ放題。近くのサラリーマンや学生でにぎわっている。

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2014年11月14日

≪ 家計運営「いたしません!」リスト ≫


TVの世界では「私失敗しないので」,「いたしません」と主人公が叫ぶ、ストーリーワンパターンドラマが人気を博しています。現実の世界では、失敗することは日常茶飯事、口が裂けても「失敗しないので」などと、最初からハードルをあげるようなことはリスクが高過ぎて言えません。

しかし、家計を運営する上においては、歯をくいしばって「いたしません」としたほうがいいことがあります。一生涯お金に困らない生活をするためには、下手な習慣を身に付けないことが大切です。 そこで、FPの中村氏からの提案をご紹介。

【いたしませんリスト】

□ クレジットカードで、リボルビング払いはいたしません。

□ 繰り上げ返済余力がないのに、住宅ローンで変動金利タイプを借りることはいたしません。

□ 定年時の住宅ローンの残債を繰り上げ返済するために、退職金のほとんどを使ってしまうようなことはいた  しません。

□ 収入が人並なのに、子供を私立一貫校に入れることはいたしません。

□ 働いて収入を得ているのに、毎年貯蓄を取り崩す浪費はいたしません。

□ 小さい子供がいるのに、お父さんが大きな生命保険に加入しないことはいたしません。

□ 賃貸住宅暮らしなのに、毎年貯蓄がほとんどできないヤリクリはいたしません。

□ 家計収支が慢性的に赤字なのに、やりがいや生きがい重視の稼ぎの少ない仕事を続けることはいたしません

□ 給与から生活費を引き出して、余ったお金を預金するような貯蓄方法はいたしません。


□ 世帯収入が少ないのに、奥さんが専業主婦であり続けることはいたしません。







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2014年11月11日

≪ 先入観は人物評価の敵 ≫


天下もとより人あり。ただ相公、知らざるのみ。この意をもって天下の士を待つ。うべなるかな、節行ある者の至らざるや。    〈宋名臣言行録〉(范仲淹)

范仲淹(はんちゅうえん)がある男と人物論をたたかわせたときのこと、相手が、こんな感想をもらした。
「わしは、これまで数多くの人を見てきたが、筋の一本通った人物というのはいないものだな」


すると范仲淹は、反論した。「世の中に、人物がいないなどということはありますまい。あなたがお気づきにならないだけでしょう。だいたいそのような先入観をもって人と接しているようでは、これはという人物が現れるわけがありません」

人物評価にさいして、先入観をもつことはなによりも禁物 ―― とはいうものの、これがなかなかむずかしい。『三国志』の英雄のひとり劉備が、諸葛亮と並称される鳳鄒(ほうすう)こと龐統(ほうとう)の風采があまりにも貧弱だったため、その人物を見損なったなどは、失敗のいい例であろう。

現代でいえば、出身校とか経歴だけで安易な判断を下すと、思わぬ人材を見のがすことになりかねないということである。

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2014年11月08日

≪ 国の生死を左右するトップと補佐役の仲 ≫


将は国の輔(ほ)なり。輔、周なれば国必ず強く、輔、隙(げき)あれば国必ず弱し。  [孫子]

〈将軍は国を統治する君主の補佐役である。君主と将軍の仲がぴったりしていれば国はきっと強くなり、わだかまりがあれば国はきっと弱くなるであろう〉

中国の王朝興亡の歴史をひもといてみると、名君といわれた人物には必ずといってよいほど、よき補佐役がついており、両者の息がぴったりと合っている。。

紀元前十一世紀、殷(いん)を倒して周王朝の天下を打ち立てた武王には、補佐役として弟の周公旦(しゅうこうたん)がいた。武王は周公旦を信頼し、周公旦は私心を捨ててそれにこたえた。

前七世紀、覇者となった斉の桓公(かんこう)には名宰相管仲(かんちゅう)がいた。桓公はかって自分に敵対した管仲を登用し、管仲はよくその信頼にむくいた。

春秋時代の最大のドラマである呉越の抗争で、補佐役伍子胥(ごししょ)を疑って死に追いやった呉王夫差(ふさ)は、英智の人范蠡(はんれい)の補佐を受け入れた越王 匂践(こうせん)によって滅ぼされた。

秦末の争覇戦で、軍師の范増(はんぞう)を信じなかった項羽は、多くの補佐役に恵まれた劉邦に敗れた。

こうした例は枚挙にいとまがないが、注意すべきは、両者の関係は相対的なもので、相互の人間性と配慮のいかんが「隙(げき)」を生じさせもするし埋めもするということである。


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2014年11月03日

≪ 才智の人には実直な補佐役を ≫


およそ才智の士は、必ず忠直の人を得て、傍らよりこれを制す。これ明主、人を用うるの法なり。        [宋名臣言行録] (司馬光)

あるとき司馬光(しばこう)は、宰相人事に関する帝の下問に答えて、次のように述べた。[先ごろ陛下が抜擢された陳升之(ちんしょうし)は、抜群の才智の持ち主です。ただ、いかなる不測の事態にもけっして動揺することのない人物かというと、はたしてどうでしょうか。

むかし、漢の高祖劉邦は、後事を託すべき人物について、このように述べております。『王陵はあまり頭がよくない、陳平に補佐させるといい。陳平は才気にあふれているが、すべてをまかせきるのは危ない』

真宗(しんそう)陛下が、丁謂(ていい)・王欽若(おうきんじゃく)を登用したさいに、馬知節(ばちせつ)を補佐の役に任じたのも、これと同じことであります。才智あふれる人物を用いるさいには、かならず実直な人物とコンビを組ませ、かたわらからその独走を抑えさせる。 これが明君たるものの人事のポイントと申せましょう」

「たしかにそのとおりだ。わしもそれが気にかかっていた」こういって帝は、司馬光にあらためて人材を推薦するように命じた。
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2014年10月29日

≪ 委(まか)せたからには思うままにやらせること ≫


将の能にして、君の御(ぎょ)せざる者は勝つ。  (孫子)

〈有能な将を任命したら、これを信頼し、細かく干渉してはならない〉

日露戦争にさいし満州軍総司令官に任ぜられた元帥大山巌は、智将児玉源太郎を参謀長に起用すると、作戦はすべて児玉にまかせた。

遼陽(りょうよう)の会戦のときなど、ロシア軍の砲弾が司令部の近くに落下するほどで、児玉以下、必死になって作戦を練っていたが、隣室で寝ていた大山は悠然と顔を出し、「今日も戦争がごわすか」といったという。児玉は思うぞんぶん力を発揮することができた。

神経質で、なんでも自分でやらなければ気がすまない上司の下では、部下はやる気を失ってしまう。委せた以上は思いきってやらせることだ。

これは決して放任″(まかせっきり)がよいということではない。大山巌は実は緻密な人間であり、もちろん大づなをつかんでいたのである。

いうまでもなく、現代社会のさまざまな組織は、きわめて複雑化かつ巨大化しており、それに見合った権限移譲、意思決定と執行、報告と点検といった組織運営の方法が、あらゆる角度から研究され、大きく進歩している。だが、委せてやらせるという昔ながらのこの簡単な原理は、なお生きている。
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2014年10月25日

≪ 人を動かすにはタイミングが大事である ≫


客、水を絶(わた)り来たらんとせば、これを水内に迎うるなかれ。半ば済(わた)らしめてこれを撃つが利なり。  [孫子]

孫子は行軍の心得について多くのことを論じており、たとえば地形に即して、かなり具体的に説いている。なかなか合理的で、なるほどと思わせはする、この心得は、なかなか含蓄がある。

〈敵が河を渡ってこようとしたならば、まだ水辺にいるあいだは知らぬ顔をしておいて、河の中ごろまで渡ってきたとき攻撃をかければ効果がある〉

原文の「水内」は水の中のことではなく、敵から見て河の手前、水ぎわである。この段階であわてて攻撃を開始してはならない。敵はまだ引き返すこともできる。それよりも河のなかほどまできたところで攻撃すれば、敵は身動きがとれない。

以上のことを逆にすると、人を動かすタイミングのことになる。つまり、人に何かさせようとするときは、敵を撃つ場合とは反対に、はじめるまえ(水ぎは)に十分な説明をしておくこと。やり始めたら(河の中ほど)、あまり口を出さないほうがいい。

はじめ、説明しないで途中でああだ、こうだといわれると、やりにくいものである。









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2014年10月22日

≪ 鶏には時をふかせろ猫には鼠をとらせろ ≫


それ物は宜しき所あり、材は施す所あり。各々その宜しきに処(お)る、故に上すなわち為すなし。鶏をして夜を司(つかさど)らしめ、狸(り)をして鼠を執(とら)えしめ、みなその能を用うれば、上すなわち事なし。   [韓非子]

物にも、それにふさわしい位置というものがあるように、人材にも、その人に適した場所というものがある。いわゆる適材適所だが、これが本当に行なわれれば、上にいる者はやることがなくなってしまう。そのくらい、万事がうまくいく、というわけだ。

つまり、鶏に夜の時を告げさせ、猫に鼠を捕らせるように、それぞれがもつ才能を発揮させることができること、これが理想。

ところが、なかなかそうはいかない。その原因はいろいろあるが、いちばん多いのは、上にいる者が、つい自分の能力をひけらかしてみたくなり、そのために仕事をうまくいかせなくさせてしまうこと。そんなことをすれば、下の者は、反感を抱いたり、やる気をなくしたりする。あげくは、上の者が下の者にだまされる結果となる。

上の者が何かをやって、下の者がそれを見ている、という本来とは逆の現象になる。やはり、下の者が仕事をして、上の者がそれを見ている、という上下関係が必要なのである。
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2014年10月17日

≪ 虎の威を借る狐 ≫


虎、獣の己を畏(おそ)れて走るを知らざる也。おもえらく狐を畏るる也と。

〈虎は獣たちが自分を恐れて逃げるのがわからない。狐を恐れているのだと思い込んだ〉

「虎の威を借る狐」の出典がこれである。あるとき楚の宣王が群臣にたずねた。「北方の諸国は昭奚恤(しょうけいじゅつ)を恐れているということだが、実際はどうなのだろうか」すると江一(こういつ)(江乙)がつぎのように答える。

「あるとき虎が狐を捕らえて食おうとすると、狐は、「自分は天帝から百獣の王の位を授けられている。私を食うのは天帝にそむくことになる。うそだと思うなら、自分が前を行くから、後からついてくるがよい。獣たちが、皆、恐れてにげるかどうか、よく見ておけ」と申しました。

虎を後ろに従えた狐が行くと、獣たちは、虎を恐れて一斉に逃げ散りましたが、虎は自分が恐れられているのがわからず、狐が恐れられていると思ったのでございます。
いま王様は楚国の五千里四方の国土、百万の兵力を、もっぱら昭奚恤に預けておられます。北方の諸国が昭奚恤を恐れているというのは、じつは王様の軍事力を恐れているのでございます」

江一はお伽話にことよせて、有力者への過度の権限・勢力の移譲によってトップの影が薄くなる危険をやんわりと警告したのである。





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2014年10月13日

≪ アイディアを無限に生みだす法 ≫


色は五に過ぎざるも、五色の変は勝(あ)げて観るべからず。味は五に過ぎざるも、五味の変は勝げてなむべからず。

〈色の基本は、黄・赤・青・白・黒の五しかないが、これを組み合わせると無限に変わった色が出せる。また、味の基本は、苦・甘・酸・辛(ひりがらい)・鹹(しおからい)の五つしかないが、これを組み合わせると、無限に変わった味を出せる〉

原文は、これにもう一つ加えて、音の組み合わせによる変化をあげている。当時の基本的な音階は宮・商・角・微・羽といったらしい。この五音を組み合わせると、やはり無限に変わった音が出せるというのである。似た例を並べてたたみこんでいく中国古典独特の論法である。

この兵法は、チームワークについても当てはまる。一人ひとりの能力を、うまく組み合わせることができれば、別々では思いもつかぬ新しい力を生み出すことができる。よきリーダーは,組み合わせでいろいろな味を作りだすベテランの料理人と同じである。

またこの兵法は、アイディを生み出す法としても使える。思いつきや閃きだけに頼っているのでは限度がある。平凡なこと、基本的なことをあれこれ組み合わせてみると、まったく新しいものを生み出すことがあるのである。


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2014年10月09日

≪ 鶏鳴狗盗(けいめいくとう) ≫


客によく狗盗(くとう)をなす者あり。秦の蔵中に入り、裘(きゅう)を取りてもって姫(き)に献ず。姫ために言いて釈(ゆる)さるるを得たり。  客によく鶏鳴をなす者あり。鶏ことごとく鳴く。ついに伝を発す。        [十八史略]

「鶏鳴狗盗」とは、鶏の鳴きまねしかできない者や、犬のようにして盗みを働く者のことである。こんな連中でも役にたつことがあるという故事。

斉の王族で名宰相ともうたわれる孟嘗君(もうしょうくん)は、人材を大事にし、食客数千人を抱えていたという。秦の昭王は、その賢人ぶりを聞き、猛嘗君を招いたうえで監禁し殺害をはかった。

身の危険を察知した孟嘗君は昭王の愛妾に人をやり、釈放に尽力してくれるよう頼んだ。愛妾は、孟嘗君の「狐白裘(こはくきゅう)」をくれれば・・・といった。それは狐の腋毛でつくったコートで、孟嘗君は王に土産として献上したため、もうてもとにはない。ところが随行してきた食客のなかにコソドロがいて、王宮の蔵に忍びこみ、狐白裘を盗みだして愛妾に贈った。

愛妾の尽力で釈放された孟嘗君の一行は、都を脱出して函谷関(かんこくかん)まできたが、夜中で関所の門がしまっていた。そこで鶏のまねのうまい男が鳴き、あたりの鶏がいっせいにときをつくった。

朝になったとかんちがいした門番が扉をあけたので、一行は無事に国境を超えることができた。


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2014年10月07日

≪ アメとムチは小人のために ≫


公、直道をもって独り立つ。時に邪説を挟みてもって進む者あり。公に面戯して曰く、君子は微を知り章を知り、柔を知り剛を知る。公、声に応じて答えて曰く、小人は不仁を恥じず、不義を畏(おそ)れず。

楊億(ようおく)は、その剛直さで一人きわだっていた。そんなかれとは正反対の人物が、ある時面とむかって楊億を皮肉った。「君子は、微を知るがゆえに顕を知り、柔を知るがゆえに剛を知る、といわれるが  」すると楊億は間髪を入れず、いいかえした。

「小人は不仁を恥じず、不義を畏れない、というな」楊億は、「易経」繋辞(けいじ)下伝にみえる一句をひいてからかったことに対して、同じ章からもってきて反撃したわけである。あとは、こうつづく。

「利を見ざれば勧まず、威(おど)さざれば懲りず。少し懲らして大いに誡(いまし)むるは、これ小人の福なり」利をもって誘わなければ 善に励もうとせず、罰をもっておどさなければ悪に懲りることもない。このような小人には、たとい少しでも罰を科して、厳重に訓戒する必要がある。

そのほうが小人のためにも幸福なのだ、というのである。
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